戦闘の応酬が止まらない。戦後に生まれ、平和で右肩上がりの成長の続いたいい時代を生きてきたと思ってきたがこの年になって人類の精神史を逆行するかのような戦争を見るとは思っていなかった。ロシアのウクライナ侵攻後、ミサイル攻撃など生々しい情報をリアルタイムで見せつけられ、さらには食料・エネルギー危機も引き起こし、行く末について世界中で不安が漂っている。 応酬は非難の応酬、空爆の応酬などのようにやり返すであるが、加藤徹著「漢文で知る中国」によれば日本語の応酬とは意味用法が違い、『中国語の応酬は交際する、もてなす、礼をもって付き合う、ちゃんと応対する、等の意であり、昔の中国では書状や詩を書いて互いに送りあったり、杯に酒を注いだり注がれたりさまざまな応酬を行った』ということである。私のみならず日本人のだれでも好きな王維の『渭城の朝雨軽塵を浥うるおし/客舎青青柳色新たなり/君に勧む更に尽くせ一杯の酒/西のかた陽関を出づれば故人無からん』も別れゆく友人のための「応酬」の情景の中で作られた漢詩だったのではなかろうか。なんと豊かな時代であろう。当時、唐の文化にあこがれた日本にも「応酬」の文化があったのではないかと思われる。 江崎誠致著の「宇宙にあそぶ わが囲碁史」に次のような文章が載っている。『平安時代は遣唐使の派遣によって唐の文化文物が怒涛のように日本に流れ込んできた時代である。中国における政治家は同時に文人であった。中国では朝廷に仕え官職を得るためには古典に通じていなければならず、詩文が作れねばならず、また書を良くしなければならない。それらの教養を身につけることが、世に立つための条件であり、その水準の高さを、時の秀才たちが競いあったわけで、そうした中で傑出した書を残したということである。 唐の時代、琴棋書画が士人の教養科目となっていた。杜甫にも碁の詩がある。菅原道真には賭け碁を打ち、負けたほうが新作の詩を贈るというしゃれた賭け碁の話が載っている』。碁を通じた交友を持ちしかも、詩を贈る「応酬」という価値をお互いが自覚していなければありえない話である。その後日本では「応酬」の真髄はさらに蒸留され一期一会に昇華したのではないかとさえ思えてくる。一期一会は茶道に由来し、利休の言葉として知られており、中国語にはない言葉だという。茶道は経典のようにこの言葉を持ったが故にいっそう洗練されたのではないだろうか。茶会のみならず、一般社会でも一生に一度のものと心得て誠意を尽くし臨むべきであるという教えになって日本人の心や文化を豊かにした。 応酬が今日のような、やり返すという意味になったのはいつからなのだろうか。現代の中国では「今日、応酬がある」という表現は日本語の接待という意味で使われ、自分の意思にかかわらず、義務的でしんどいイメージがあり、唐代のそれとは違い一般的には良いニュアンスの言葉では無いということである。 今回のロシアの侵略を見れば関東軍参謀の悪質な英雄的自己肥大のもとに大東亜共栄圏という美辞麗句を掲げて侵略していった日本のそれと同じだなと思ってしまう。司馬遼太郎さんはその時代を日本史のいかなる時代とも断絶した「異胎の時代」という言葉で表現している。そして『日露戦争の勝利こそ、むこう40年の魔の季節への出発点ではなかったかと考えている。この大群衆の熱気が多量に___例えば参謀本部に___蓄電されて、以後の国家的妄動のエネルギーになったように思えてならない』と分析している(司馬遼太郎 この国のかたち)。人々 もマスコミも熱狂していたのである。このことは今日でも情報を統制された国で見られる通り同じである。良し悪しは別にして、中国共産党も中華人民共和国も日本の侵略がなければ生まれなかっただろう。ある意味では中国が日本を作り、日本が中国を作ったともいえる。唐代のよき文化を子どものように純粋に吸収し独自の文化を作った日本と、異胎の時期の日本によって生まれた中国を対比して思えば感慨が深い。どのような政治体制を持つかはその国なりの正当性があるのだろうが、贖罪感ばかりでなく気の毒な気もする。中国3000年の歴史感覚からすれば日本の侵略は過ぎ去った過去の事ではなく、ついこの前の事であり、恫喝や戦狼外交も単なる応酬なのかもしれない。 昨年は世界としては故エリザベス女王の使ったアナス・ホリビリス(ひどい年)であった。人々の平和や安寧への祈りも空しく、これから世界がどうなっていくのか分からない中、自分に残された短い人生を思えば個人的には2023年も一回きりの貴重な一期一会の年である。リセットして古典的な「応酬」の気分で新年の酒を酌み交わしたいものである。 |
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