墓のない人生を儚い人生と掛けて墓地の販売を促進する宣伝がある。生駒山の縦走路は大規模に開発された霊園墓地の傍らを通っている。そこを歩いていると日本人のみならず朝鮮半島から日本に来て骨をうずめた人々の墓が多くみられ、済州島○○などと出自の出身地まで彫ってあるのが妙に印象に残っている。生物学者のドーキンスによれば生物の行動原理は自分の遺伝子を残すことであるが、人間の場合、自分の作品、仕事、自分の名、いうなれば自分の存在したことの証も残したいと願っているという。古来より、人間の自然な感情として墓はその役目を果たしてきたのかもしれない。でも私は墓はいらない。樹木葬でいいと思っている。山歩きを大いに楽しませてもらった。駅のコンコースの売店で淡路屋の六甲山縦走弁当を買い、気に入った場所でお昼にお湯割りの焼酎と一緒に楽しむのがまた山の別の楽しみでもある。山歩きの後の温泉も含め、すべてが一セットになったのが私の山歩きである。気に入った場所はいくつかあるが、その中でも街と海を見晴らせるテーブル状に突き出した岩山が一番好きである。そこに一本の松が生えている。養分のない岩根に根を張り風雪に耐え100年ぐらいの樹齢だろうか、あまり大きく育っているわけではないが開けた空間の中に独立していて一本松として存在感がある。その根元に砂粒ほどの小さな骨のかけらを埋めてもらうだけでいい。木の傍らで弁当を食べながら将来はここに眠っているのだなと思うとなぜか安心感に包まれ落ち着くのである。樹木葬も新聞の宣伝広告を見ているとビジネスになっているような気分もしなくはない。山歩きの中で私の抱く樹木葬のイメージとは少し違う。万物は一体で、人間も万能ではなく自然に抱かれているというものの考え方が私は好きである。それぞれが自分に合う死生観を持ち、その人なりの安心を得て、いい具合に生きればいいのである。
最近(2021年)立花隆氏が亡くなった。以前『樹木葬(墓をつくらず遺骨を埋葬し樹木を墓標とする自然葬)あたりがいい。生命の大いなる環の中に入っていく感じがいいじゃないですか。』ということが著書「知の旅は終わらない」に書かれているのを読んだことがあったが、家族葬の後、希望どおり樹木葬で葬られたことを訃報の新聞記事で知った。私 の好きな作家であるだけに私の樹木葬への思いを一層強くさせてもらった気がした。
立花隆氏はまさに知の巨人であり、「宇宙からの帰還」「サル学の現在」「精神と物質」「臨死体験」など興味深くワクワクしてよく読んだ。ものを書くにはその100倍の情報をインプットしなければならないというのが作家の持論で猛烈な勉強家だったという。私も高校時代に数回受けたことを思いだすが、旺文社の全国大学模擬試験で一番を取ったという。そのような秀才の頭脳をベースに、行動的であらゆることに興味を向け人類の知の総体へのあくなき関心を持ち続けた人だった。その成果を結論的に『「永遠の生命なんてない。」「絶対の真理なんてものはない。」ということを信条箇条の第一に置けば、それから、多くのことが導けます。』『宗教とか思想というものは、ある時代の誰かが頭の中でこしらえて、頭の中からひねり出した一連の命題です。』と教えてくれている(立花隆著 知の旅は終わらな い)。山の静かな風景の中に入るといると彼の本の言葉が心にすんなり入ってくる。そして自然に抱かれ、自然に従い静かに生きれば、人間がひねくりだした宗教も思想も不要なのではないかという気持ちにさえなってくる。もっと若いころ彼の言説に出会いたかったなとも思う。
学生時代、文化大革命の余波を受け、毛沢東に影響を受けた左翼運動家の語る思想に対し、受験勉強以外何も考えもしなかった私は当時劣等感の中にいた。今考えれば彼らも絶対視の中で表面的で本当には何も分かっていなかったはずなのである。毛沢東や現在の独裁者も自分では確固たるイデオロギーに裏打ちされたと思っているだろうが、それはある時代の誰かが頭の中でこしらえて、ひねり出したものに乗っかっているだけなのである。
司馬遼太郎さんも以下のようにいう。『イデオロギーの時代というものは一時代をすぎればおこりが落ちてしまう。』(胡蝶の夢)。『二流もしくは三流の人物(皇帝)に絶対的権力をもたせるのが専制国家である。その人物が英雄的自己肥大の妄想をもつとき何人といえどもそれにブレーキをかけることができない。制度上の制御装置をもたないのである。』(坂の上の雲)。まさに今日の世界情勢を見たかのように書き残している。時代が変わっても人間は本質的に変わらないということかもしれない。
『人間が何千年という長い時間の中で、よりよく生きるために、また死の恐怖から逃れるために、必死に考えてきたことの結晶が哲学と宗教の歴史であった。』(哲学と宗教全史 出口治男)というように私は、個人の心の安寧や精神的支柱の役割を果たす宗教の意義を否定しないが、一方では『神の存在を考え出した人間が神に支配されるようになり―といってもそれを利用したのは外ならぬ支配者であったが―』(哲学と宗教全史 出口治男)ということも起こっている。司馬さんは「神仏が存在するから信じるのではなく信じるから存在するのである」(司馬遼太郎 歴史の中の邂逅7)という清沢満之の言葉を教えてくれている。
宗教の絡む紛争や現在のイスラエル・パレスチナ紛争をみても当事者はまた別の見方を持っているだろうが、宗教も思想も個人の範囲を超えると人智で解決できないことばかりである。人間の精神史は進化していないとしか思えない。
立花隆氏は臨死についても深く研究し「臨死体験は脳内現象である。」と明確に教えてくれている。脳死や臨死体験など死についての真剣な思索を行った作家が自分自身もがんになりたどり着いた結論が樹木葬であった。私はそのような深い思索を経たわけではなく単純に山歩きと樹木が好きだから樹木葬がいいなと思っているだけである。樹木葬にたどり着く山頂への道は一つではない。それぞれの道をゆけばいいのである。終末期の医療でACP(Advance Care Planning)として、本人を主体に、家族や近しい人、医療ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みがある。APCのように本人も早くから表明しておかねば希望通りにならないし、残された者も決めかねる。個人的な思いとしてとことん医療と樹木葬とは親和性が低い。終末期というわけではないが、私の樹木葬のessayも死後も含めたAPCみたいなものである。
立花隆氏は残された10万冊の本もすべて売り払えと遺言したという。売り払う前の立花隆の書棚を写真に収めた写真家の薈田純一氏は「知識を吸い尽くされた残骸」と表現していた。知の巨人の魂を紡いだ幾万の書籍の糸もほどけてちりぢりに散らばり空になる。まさに五蘊皆空である。これも樹木葬にも連なる立花隆氏の一貫した思想であるに違いない。 司馬遼太郎さんは『私は幸いこの世に生きている。生きていることが幸せなのではなく、よき人に接しうることが至福だとおもっている。』(司馬遼太郎 司馬遼太郎が考えたこと11)と書いている。私も好きな作家の本と出会い読書を楽しませてもらった。そしていい人々と出会い、囲碁・山歩き・お酒・温泉・映画を楽しんできた。なによりも医学を学んだことは幸福であった。医学に限らず知識はバラバラなものではなくて、一つの知識から、次の知識へとつながっていくものなのである。それらの総和として樹木の下で眠る希望は自分の歩んできた人生の延長でもある。