医学の祖・ヒポクラテス(古代ギリシアの人、紀元前460~375年頃)は、彼の弟子たちに、次のような「誓詞」を以て誓わせていました。
医療に携わるものにとって、医の倫理は何よりも大切なものです。
医療人は古くから、この教えによって行動してきました。
医学の祖・ヒポクラテス(古代ギリシアの人、紀元前460~375年頃)は、彼の弟子たちに、次のような「誓詞」を以て誓わせていました。
医神アポロン・アスクレピオス・ヒギェイア・パナケイア、および全ての男神と女神とに誓う。私の能力と判断に従って、この誓いと約束を守ることを。
この術を私に教えた人を、我が親の如く敬い、我が財を分って、その必要あるとき助ける。その子孫を私自身の兄弟の如く見て、彼らが学ぶことを欲すれば、報酬なしにこの術を教える。
そして書き物や講義、その他あらゆる方法で、私の持つ医術の知識を、我が息子、我が師の息子、また医の規則に基づき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分ち与え、それ以外の誰にも与えない。
私は能力と判断の限り、患者に利益すると思う養生法を採り、悪くて有害と知る方法を決して採らない。頼まれても死に導くような薬を与えない。それを悟らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
純粋と神聖を以て我が生涯を貫き、我が術を行う。結石を切り出すことは神にかけてしない。それを業とするものに委ねる。いかなる患家を訪れるときも、それはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しない。医に関すると否とに関わらず、他人の生活について秘密を守る。
この誓いを守り続ける限り、私はいつも医術の実施を楽しみつつ生きて、全ての人から尊敬されるであろう。もしも、この誓いを破るならば、その反対の運命をたまわりたい。
幕末の頃、日本にもたらされた西洋医学は、医の倫理を伴い、この国に広まってきました。当時の代表的な西洋医書が、ベルリン大学教授フーフェランド(C.W.Hufeland、1764~1836)の著した『医学必携(Enchiridion Medicum)』です。その最終章の「医師の義務」が『医戒』として翻訳され、大きな影響を与えました。医師が守るべき戒め「医の倫理」です。幕末維新期の医家・緒方洪庵は、これを12ヵ条にまとめました。これが『扶氏医戒之略』です。扶氏とはフーフェランド氏のことです。洪庵は大阪の適塾で、この大切な教えを門人たちに授けました。
古い昔から、医師のあるべき姿を規定し続けたものが「医の倫理」です。1947年、世界中の医師の声を代表する国際会議(パリ開催)が開かれました。第1回のWMA(World Medical Association、世界医師会)総会です。最高水準の医療、倫理、科学、教育、および医療関連の人権を実現するため、このWMAは活動を行います。その活動を通して、世界中の人々に奉仕することを、その使命とするのです。
1948年の第2回WMA総会(ジュネーブ開催)で「ジュネーブ宣言」が採択されました。翌1949年の第3回WMA総会(ロンドン開催)で「医の国際倫理綱領」が採択されました。私たちは、この宣言と綱領を大切にしています。
以上、医聖ヒポクラテス以来の「医の倫理」を、歴史的に眺めたわけですが、煎じ詰めれば「病者のために最善を尽くす」ということであります。私たちは、そのための不断の努力を積み重ね、今後も地域医療に邁進する所存です。